岡本太郎 坐ることを拒否する椅子と駄々っ子椅子~貫き通した者の熱量に触れる

UPDATE: STAFF:アベカワ
岡本太郎 坐ることを拒否する椅子と駄々っ子椅子~貫き通した者の熱量に触れる

岡本太郎 坐ることを拒否する椅子と駄々っ子椅子~貫き通した者の熱量に触れる

UPDATE: STAFF:アベカワ

岡本太郎(1911-1996)

日本の芸術家であり、数多の彫刻や絵画、デザイン、書籍、言葉を残した日本が誇る偉大な人物のひとり。
作品のひとつ「太陽の塔」や、1981年マクセルのCMで放った言葉「芸術は爆発だ!」は知っている方も多いかと思います。
没後も川崎に岡本太郎美術館が完成、渋谷駅に巨大壁画「明日の神話」が設置されたり、コムデギャルソンやアディダス、コンバースなどをはじめとした多くのコラボも生まれ、生前を知らない方達にもファンが多くいます。
唯一無二の力強い作品群は見る者を圧倒する迫力と、活力を与えるような温かさを内包し、作品に触れた人達のなにかを揺さぶり続けています。

1点物の作品を販売することがほとんど無かった岡本太郎。
それは作品が個室に幽閉され、大衆の前から姿を消してしまうことが嫌だったそう。
その代わりにパブリックアートとして、彫刻や壁画、時計台など人々が目にする場所への作品を多く手掛けます。
また彫刻や絵画といった分野に留まらず、家具や雑貨などへも表現のジャンルを広げ、デザインと言える活動までこなしていきます。
それは1点物という美術品から、いくらでも複製出来るといった表現領域の拡張であり、芸術が大衆のものとなる信念にも合致したようです。

インプションに来てくれた岡本太郎作品

少し前になるのですが、ご自宅に置かれていた貴重な岡本太郎の作品を手放されるとのことで、お譲りいただいたものがございます。

それが今回ご紹介の4点となり、どれも50年以上が経過したビンテージアイテムとなります。 

置かれていたそのお宅は当時、ファッション雑誌の撮影にも使われていたようで、モデルさんが太郎作品に座って写っている切り抜きをいくつか見せていただきました。

<坐ることを拒否する椅子>

1964年の岡本太郎展のため、1963年に信楽焼で製作された物が最初となります。

坐ることを拒否する椅子は初期の1963年型と後期の1990年代型があるようです。

初期型と後期型は制作された工房が違っており、型も違う物となっているためフォルムに少々違いがあります。

初期型は座る部分、所謂顔の部分が少し平らになっていますが、後期型はその部分が丸みを帯びています。

今回のお品は3点とも顔の部分が平坦な初期型と見られ、貴重なことから岡本太郎美術館で展示される際も着座出来ないように飾られているなど、”坐られる”ことを拒否する椅子として取り扱われています。(※後期型は触れて坐ってが可能な展示となることが多いようです。)

岡本太郎記念館の平野館長によると、当時の日本は人間工学の分野が登場し、長時間座っていても疲れない合理的な椅子の開発が進んでいたようです。しかしながら岡本太郎の考えは逆で「アクティブに活動している人間には切り株さえあればいい。ちょっと腰を下ろしたらすぐにまた歩き出すのだから。」と楽ちんを許さない椅子を作ったそうです。

すごい視点ですよね、世の中がどんどん便利に、快適に向かっていく時代に、座れるものなら座ってみろといった挑発めいた作品を世に送り出すなんて。

しかもその座りにくさの原因は太郎さん自身が生み出した彫刻作品部分。

この作品最大の魅力である顔の彫刻部分に、太郎さんの熱い熱いフィロソフィーが詰まっているようです。

3点とも一般家屋にて長年置かれていたため、経年の古さは感じられ、取り切れない汚れやキズ、焼成時によるものか表面のヒビなどもあります。

特にオレンジは経年劣化が多く、表面の小さな欠けなども見られますが、いずれも着座に問題はありません。

おそらく市場に出てくることが稀であろう、初期型の坐ることを拒否する椅子。

お譲りいただいた3点とも今回販売致します。

<駄々っ子>

1969年に発表された椅子、駄々っ子。

泣きじゃくる小さな子供のスケッチから生まれた椅子だそう。

たしかにそういう子供の目元にも見えますし、脚の踏ん張り具合なんかはまさに子供が嫌なことがあってそこから動かない時の踏ん張った姿のようです。

 この太郎曲線で表現された駄々っ子はFRP素材を使うことで実現しています。

曲線で構成されているので座り心地は悪くなさそうですが、これが実際に良い座り心地なのです。

しかもこの駄々っ子は2人で座っていると、少しずつ体が内側に寄せられていくので、カップルにぴったりだとか、仲直り出来る椅子などとも言われていて、実際、太郎さんもそのような話をしていたようです。

この駄々っ子も型を取れば量産可能となり、事実色違いの駄々っ子が存在しています。

太郎さんの望んだ、多くの人に楽しんでもらえるアートとなっていますね。

しかしながら1点物では無いにしろ、製造数や現存数はかなり限られている作品です。

今回の駄々っ子が何年に製造されたものか正確には不明ですが、50年程は経っているようです。

経年によるキズなどはありますが、現状で65kgほどの者が座っても問題はありませんでした。

岡本太郎という人物はとにかくパワーのある人だったように思えます。

私などは一応生前の姿をテレビや雑誌で見ていた世代ですが、正直なところ変わった人というイメージでしかありませんでした。

しかし、亡くなる少し前あたりから太陽の塔や顔のグラスなどが気になり始め、遅まきながら好きになった一人です。

没後、青山のアトリエや岡本太郎美術館に通い、直接作品を見るようになってからは、その熱量の虜になりました。

今回、希少な作品をご紹介させていただけたことは大変嬉しい限り。

あらためて魅力のある方だったなと強く思いました。

これらの作品達は岡本太郎を愛する方に大切にしていただければ幸いです。

そして可能でしたら太郎さんの貫き通した「芸術は大衆のもの」となるよう、誰にも見せないように置くのではなく、お店に飾ったり、作品のあるお部屋にお友だちをたくさん呼んで見せていただけたら嬉しいです。

 

 

 


 

岡本太郎と万博

前評判では不要論が噴出していたEXPO 2025 大阪・関西万博。

しかしながら実際に開催されてみると、満足度が高いと評価をする意見が多く、ニュースで見る限り連日大盛況のようですね。

そんなEXPO 2025も間もなく会期終了を迎えようとしているのですが、皆さんは1970年に大阪で開催されたEXPO70 日本万国博覧会はご存じでしょうか。

この万博は国民の圧倒的な支持を受け、来場者数が6400万人以上にのぼりました。

これは当時日本の総人口、約1億人の60%以上にあたる来場者数となり、2010年の上海国際博覧会まで堂々の1位でありました。

「人類の進歩と調和」をテーマに掲げ、アジア初の万博開催となったEXPO70の会場には、丹下健三や黒川紀章などの精鋭建築家が設計したパビリオンが多く並び、未来都市群のような夢のある会場を作り出していました。

その中でも一際異彩を放っていたのが、皆さんもご存じの岡本太郎作:太陽の塔です。

その頃、既に巨匠であった丹下健三デザインの万博会場・大屋根に穴を空けて太陽の塔を立たせると提案し、丹下氏と揉めたようですが、万博協会会長などの説得により実現したというお話は万博好きには有名な話。

結果、太陽の塔は圧倒的な存在感で万博のシンボルとして人々の記憶に残り、会期後には取り壊される予定であったが、撤去反対の署名運動により永久保存が決定しました。

そのおかげで現在も万博公園に行けば、高さ約70メートルもの太陽の塔を見ることが出来ます。

その足元に立てば、自分がどんなにちっぽけな存在か思い知らされますし、小さな事で悩んでても仕方ないでしょ、と岡本太郎に言われている気がしてすっきりするのでオススメの場所となっています。

 

今回、岡本太郎氏の作品を販売するにあたり、雑貨類も少し集めてみました。

ポスターはすべて岡本太郎美術館の展覧会ポスターで、1999年の開館記念「TARO IS BACK」など初期の物が多く、フレーム付きで大きいもの8枚、小さいもの3枚を用意しました。

その頃のミュージアムグッズや少し古い太陽の塔フィギュア、コンバースのスニーカーなども用意しています。

個人的に坐ることを拒否する椅子のマグネットなんかは良い出来だと思います。 これらは店舗にて販売いたします。

 

※ポスター等のオンラインストアへの出品は随時行ってまいります。

 

 

Text : アベカワ

Design : こっち


岡本太郎 坐ることを拒否する椅子と駄々っ子椅子~貫き通した者の熱量に触れる