夢見る人 ~ 倉俣史朗の世界

UPDATE: STAFF:ユキナ
夢見る人 ~ 倉俣史朗の世界

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「家具」という形態をまとった「アート」

60から90年代にかけて、家具や空間デザインの分野において一時代を築いた、日本を代表するデザイナー倉俣史朗。
世界的に高い評価を得ており、その影響力は「クラマタ・ショック」という言葉が生まれるほどであったそうです。
倉俣氏のデザインを表すとき、「浮遊」「無重力」「自由」「解放」「夢心地」「詩的」などのキーワードをよく耳にします。
それだけ聞くと、感情の赴くままに表現するアーティスティックなイメージを持つ方もいるかもしれません。
ですが、氏のものづくりへのアプローチや目指すものを知れば、"単なる夢見る人"ではないことが分かるはずです。
(武蔵野美術大学 「みんなの椅子展」の展示風景)
私は昨年、武蔵野美術大学で行われた「みんなの椅子展」にて、倉俣氏の代表作であるミス・ブランチやハウ・ハイ・ザ・ムーンなどを実際に見る機会がありました。
恥ずかしながら名前を聞いたことがあるだけの私でしたが、知らないなりに"これは家具として見たらいいのか、アートとして見たらいいのか"と、頭の中で疑問が湧いたのを覚えています。
美術品のような佇まいでありながら、"座る"という椅子としての役割も感じられる不思議なデザイン。
椅子とは何か、家具とは何か、今思えばその概念を問われていたような気もしました。
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倉俣史朗という人

「私の発想法としてふたつある。その一つは、ゼロからの発想であり、そのものに纏わりついている諸々のものを取り除き、ゼロから見直すことである。もう一つは逆に何故?という単純な疑問からとらえること。」
―『ジャパンインテリア』(インテリア出版)1973年6月号・新宿タカノの記事より
1934年東京都生まれ。1954年から桑沢デザイン研究所でリビングデザインを学び、卒業後は株式会社三愛宣伝課で店舗設計、ショーケース、ウインドウディスプレイなどの仕事に携わります。1965年に独立し、クラマタデザイン事務所を設立。イッセイミヤケのブティックの内装デザインをはじめ、前衛芸術家の高松次郎や横尾忠則らとのコラボレーションを通して、世界から脚光を浴びるように。1981年には長年憧れていたエットレ・ソットサスの誘いで、多国籍からなるイタリアのデザイナー集団「メンフィス」に参加します。
昔から日本の美的概念や西洋の前衛芸術に関心があった倉俣氏は、素材が持つ特性を深く理解し、誰よりも早くから新素材や加工技術に着目しました。その根底には、素材の本質的な部分に寄り添う姿勢を大切にする独自の発想法があったから。それまであまり家具に使われることのなかったアクリル、アルミニウム、スチールメッシュを多用した革新的な作品を発表していくこととなります。
今回お取り扱いさせて頂くこととなった5点の倉俣作品は、全て氏の全盛期とも呼べる1980年代にデザインされたものです。
誰もが当たり前に持っているモノへの固定概念を次々と覆していく、巧みな素材使いに注目しながら1点ずつご紹介していきたいと思います。

<Expanded Metal Chair B.I.-86

特殊な製造機を使って、薄い金属板に切れ目を入れ押し広げた「エキスパンドメタル(金網材)」。 フェンス、窓格子、通気口など、日常生活でも時折目にしますが、倉俣氏はそんな工業素材を1986年に発表されたHow High the Moon(ハウ・ハイ・ザ・ムーン)で初めて採用しました。 氏の代表作で、デザイン史にとっても重要な一脚です。 製造には倉俣作品の大半を手掛けてきた施工会社イシマルと寺田鉄工所が携わり、IDEEにて1997年まで販売されました。 金属の先端と先端を一点ずつ溶接し、座れるまで滑らかに仕上げられた完成度の高さは、職人たちの影の努力があってこそ実現した技術の賜物です。 今回入荷したエキスパンドメタルチェアは、ハウ・ハイ・ザ・ムーンから派生して作られたもの。 同時期(1986年頃 )のIDEEのカタログにA.I.-86(アームあり)、B.I.-86(アームなし)が掲載されています。 中でも今回のB.I.-86は特に情報が少なく、入手の難しいモデルとなっております。 素材特有の強靭さがありながら、重さを全く感じさせないほど繊細で緻密なデザイン。 ループ状の背座として完成することで生まれた空洞の椅子は、倉俣自身が掲げていた「重力からの解放」というテーマにぴったりなものでした。 翌年の1987年には、東京・西武渋谷のイッセイミヤケ・メンでエキスパンドメタルで覆われた空間を作り上げています。

<Star Piece>

樹脂を素材とする人工大理石、「テラゾー」に色ガラスの破片をちりばめたスターピース。 倉俣氏がその魅力に気付いたのは、都営浅草線で行われていた工事現場をたまたま通りかかり、キラキラ光るテラゾーを見たことがきっかけであったそうです。 工場で大量に廃棄されていたガラスの破片を使用し、その一部にはイタリアの歴史あるムラーノの吹きガラスやコカ・コーラのボトルの破片などが混ざったものも。 大量生産・大量消費時代におけるものづくりを批判するかのように、身近な素材で魅力あふれる表現をしました。 倉俣氏は、1976-1989年までイッセイミヤケのブティックのほとんどを担当しています。 1983年に登場した東京・松屋銀座1階のイッセイミヤケでは、このスターピースを床と壁面一面に覆い尽くし、初めて見る光景に一躍話題となりました。 更にメンフィスからは、同素材を用いたKYOTOとNARAテーブルなどもリリースしました。 このように、その時々で関心を持った素材を実験的に空間、そして家具に落とし込んでいきます。 今回入荷したスターピースは、当時建材として使用されていた中の貴重な一パーツ。 弊社に在庫していたスイス・USMハラーのフレームを組み合わせてリメイクローテーブルとして蘇らせました。 テラゾーはそれなりの重量がありますが、荷重にしっかりと耐えられるハラーフレームの構造は相性が良く、また見た目にも異素材の質感の違いや都会的な雰囲気がバランス良くミックスされています。

<Desk for Tsukuba Daiichi Hotel>

1983年に開業したつくばセンタービル内にあった筑波第一ホテル。建築を磯崎新、内装を倉俣史朗が手掛けました。 こちらは、シングルルーム等に設置され、ウォールミラーとセットで使われていたフルオーダーメイドのライティングデスクです。 一般販売されたものでは無いことと、ホテルが2001年に廃業しているため、既に現存数は少なく希少なアイテムとなっています。 フレームがナチュラル色のタイプはインプションでも数点取り扱いさせていただきましたが、今回念願のブラックが入荷いたしました。

Flower vase Single #2 & Double #3

1989年にデザインされたアクリルブロックのフラワーベースシリーズ。いくつか展開がある中で、こちらはシングル#2とダブル#3のタイプとなります。 クリアのアクリルブロックの中に閉じ込められたピンクのアクリルが生み出す曖昧な境界線、そして時が止まったかのように差し込まれた華奢なガラス試験管との対比が美しい作品です。 透明感があり浮遊したような作品を多く生み出した倉俣氏らしい世界観がこの小さな作品に凝縮されています。 ガラス管は取り外し可能で、お手入れにも配慮がなされているところも欠かせないポイント。 現在でも販売されているシリーズですが、こちらはミス・ブランチをはじめとする多くのアクリル作品に携わった、旧製造工場の株式会社正高化工(閉鎖)で作られた初期モデルです。 ピンクでもオレンジ色を含んだような温かいピンクで、よく見ると現行品に比べて色味や発色が若干異なります。 1991年に惜しくも56歳という若さで逝去されましたが、それまでに180点余りの優れたデザインを残した倉俣史朗。 近年では、同氏が1988年に設計した寿司店 きよ友のファサードとインテリアを香港の美術館 M+(エムプラス)が収蔵するなど、今もなお世界レベルで強い存在感を放ち続けています。 またそのデザイン遺伝子は、国内のみならず海外のクリエイターたちにも後世に引き継がれていくことでしょう。

あとがき

(上記画像は過去の取り扱い商品で、既に販売済みとなっております。) 今回ご紹介させて頂いた5点は、1年程かけて1点2点と少しずつお買取りし集まった貴重な品々です。 ようやく複数点ご紹介出来る時が来ましたので、このような特集コラムを書かせて頂きました。 倉俣氏の作品は大量生産に向いていなかったからか、現物が残っていないことも珍しくありません。 特に今回ご紹介した品々は、歴史的価値のある希少なものばかり。 お譲り頂いた方々には大変感謝しております。誠にありがとうございました。 今後も価値あるアイテムをしっかりと見出し、愛情を持って、その価値をまた次のお客様へ繋いでいけたらと思います。 ※ご紹介した倉俣史朗のアイテムは祖師谷大蔵店・自由が丘店・経堂店に振り分けて販売中です。 在庫状況につきましては、取扱い店舗へお問合せ下さいませ。

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