自在掛 恵比須型
「たまたまご縁があって」
そんな言葉を、ふと耳にすることがあります。
そのたびに私は、どんなご縁なのだろう。本当に“たまたま”なのだろうか、と少しだけ疑ってしまう。
けれど、不思議なことに、自分自身がその「たまたま」に出会うと、そんなこともあるものだな、と妙に納得してしまうのです。
先日、まさにそんなご縁がありました。
たまたまご縁があって、アマン東京に宿泊する機会があったのです。
さすがは一流ホテル。
天井の高さ、光の入り方、素材の選び方。エントランスから客室に至るまで、どこを切り取っても隙がありません。いわゆる「豪華」という言葉だけでは表せない、静かな品のよさがあります。
そして、部屋へ向かう廊下でさえ、ふっと心に残るいい香りがする。
空間をつくるのは、家具や照明だけではないのだな、とそんなことを考えながら歩いていました。
そんな中、天井の高い美しいエントランスで、ふと足が止まりました。
見覚えのあるオブジェが、そこにあったのです。
「あれ?」
一度通り過ぎて、もう一度見る。
やっぱり、見覚えがある。
こんな場所で、こんなふうに会うとは。
家具や道具にも、人との出会いと同じように、思いがけないめぐり合わせがあるのかもしれません。
役目を終えて、なお美しく

それは、自在掛でした。
事前に予備知識がなければ、作家が制作したアートなのではないかと思ってしまいそうな佇まいです。
私にとっては非日常ともいえる空間の中で、自在掛は特別な存在感を放ちながら、ひとつのオブジェとして静かに飾られていました。
自在鉤は、本来、囲炉裏の上に吊るして鉄瓶や鍋を掛けるための道具。
火との距離を調整できるよう、上下に動かせるつくりになっています。
今の大都会・東京で暮らしていると、自在掛がその本来の用途で使われている姿を見る機会は、ほとんどないのではないでしょうか。

そんな自在掛ですが、実は自由が丘店にも、ひとつ入荷しています。
改めて、こちらの自在掛を見てみましょう。
「恵比須型」と呼ばれる自在掛です。
比較的小ぶりなつくりですが、重厚な無垢材を一木から削り出したその姿には、確かな存在感があります。
実際に手に取ってみると、見た目から想像する以上にずっしりと重い。
この木の量感を感じていると、かつては立派な梁のある家で、囲炉裏を囲む暮らしの中に吊るされていたのだろうか、と想像が膨らみます。

囲炉裏のある家そのものが少なくなった今、自在掛もまた、本来の役目を終えたものが多いのでしょう。
けれど、役目を終えたからといって、その美しさまで失われるわけではありません。
むしろ、道具として使われなくなった今だからこそ、自在掛が持つ造形の面白さや、素材の表情、長い時間を経て生まれた風合いに目が向くのかもしれません。
かつては火を囲む暮らしの中にあったものが、今では洗練された空間の中で静かに佇んでいる。
そう思うと、あのアマン東京で見た自在掛が、ただの古い道具には見えなかった理由も、少しわかるような気がします。


長い年月、囲炉裏の煙に燻され続けたのでしょう。
木肌には、単に古くなっただけではない、なんとも言い表しがたい深みと艶があります。
新品の木工品では決してつくることのできない、時間そのものが刻まれた表情です。
道具として使われ、煙に燻され、人の手に触れながら歳月を重ねてきた。
そうして生まれたこの肌合いには、暮らしの痕跡がそのまま残っています。
まさに、生活の中から生まれた木工の美。
役目を終えた今もなお、空間に置くだけで強い存在感を放つのは、長い時間をかけて育まれた、この道具ならではの美しさなのかもしれません。

古家具や古道具の面白さ。
考えてみれば、これは少し不思議なことです。
道具として使われていた頃には、誰もそれを「美術品」とは呼ばなかったでしょう。
けれど、長い時間を経た今、その姿には確かに人の心を惹きつける美があります。
暮らしの中で使われ、使い込まれ、そして時代を越えて残っていく。
古家具や古道具には、新しいものにはない、そんな「時間がつくった美」があります。
もしかすると、アマン東京で自在掛に出会ったことも、そんな時間を越えた「ご縁」だったのかもしれません。































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