ディズニーまんがこけし
戦後日本の暗い雰囲気。
人々は前に進まなければなりませんでした。
過去を背負いながらも立ち向かう力は時にものにも宿ります。
本日ご紹介させて頂くのは時代が残した愛らしい民芸品。
まんがこけしをご紹介させて頂きます。
思いもよらぬ復興のかたち
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お馴染みのディズニーキャラクターたち。
フォルムは日本の伝統工芸であるこけし。
日米文化の組み合わせながら感じさせない違和感。
愛らしいデフォルメがなされたこのこけしは60年代の日本で作られました。
まんがこけしが作られたのは福岡県の南部、筑後地方に位置する久留米市の田主丸の工場でした。
巨峰開植の地、フルーツ狩り発祥の地としても知られる田主丸。
これらは戦後の復興の中で形作られた物だったそう。
ディズニーのまんがこけしも復興の為に作られた特産品。
果物を通じて田主丸に新たな風を送り込んだ人物が漫画こけしを主宰したというユニークな繋がりもあります。
今や漫画こけしは田主丸幻の特産品として認知されているそう。
日米文化のユニークな組み合わせが土産品として爆発的なヒットを記録しました。
手に取りたくなる愛らしさは国外でも評価され製造された3分の1は本国であるアメリカに輸出されていたそう。
現在は国内外で希少なコレクターズアイテムとして取引されていますがそこに田主丸の文字はありません。
文献や情報も殆ど残っておらず、確認できるのはディズニーの版権を得て作られたオフィシャルの国産こけしであったということ。
しかしこの特殊な特産の目的はただの復興ではありませんでした。
僅かに残った情報や田主丸の様子を残した映像を確認するとこけし工場についての情報が。
そこで働くのは約50人程。
その殆どが若い女性でした。
こけし製造を手掛けるこの女性たちは戦争未亡人だったそう。
ディズニーまんがこけしは彼女たちの働く場所を作る為に新たに考案された特産品だったのです。
パッケージに確認できる“Walt Disney Productions”。
ライセンスのサインですがこれは当時にしては非常に珍しい事案でした。
当時ディズニーから版権を得た国内のメーカーは存在しませんでした。
背景は不明ですがディズニーこけしを完成までの道のりは厳しかったものと想像できます。
単体のビンテージは稀に見かけるディズニーのまんがこけし。
外箱や内容物が揃ったビンテージはかなり希少な様です。
しかしそのもの自体に見られるのはキャラクターの愛らしさとこけしの融合のみ。
こうして背景は消えていくのかもしれませんが、こけしのヒットは戦後の田主丸と工場に勤める人々の生活を救ったのかもしれません。
思いもよらぬ組み合わせ。
ものは時にこういった出来事を含みます。
時代が残した愛らしい民芸品。
大切に残したいのは見た目の良さだけではありません。