arflex japan
Rainbow
触れる機会の少ないプロダクトのデザイン背景。
空間と人の暮らしをより良いものに変える家具は時に日々の喧騒を忘れさせる為軽やかで余裕のある印象を与えます。
しかしながら新たにデザインするという行為は決して気軽なものではありません。
くつろぎの空間を作る為に注ぎ込まれた情熱と努力こそ良質な使い心地と美しいかたちになりうるのだと思います。
本日ご紹介させて頂くのはこれまでの家具の形状を覆した日本のプロダクト。
アルフレックスジャパンの手掛けるソファ、レインボーのご紹介です。
これまでにない形
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アルフレックスジャパンの創設者保科正氏。
現会長でもある保科氏は1965年から1967年の間アパレルブランドの宣伝広告の業務に従事していました。
海外の生活に触れる機会も多い宣伝業務。
これが生活文化向上に携わる気概を持たせたそう。
保科氏はあてもなく単身イタリアへ渡ることに。
そこで出会ったのがアルフレックスのショーウィンドウでした。
保科氏はアルフレックスでの修行を申し出ます。
2年半の修行期間。
保科氏はアルフレックスの販売権と、オリジナル家具の製造権を獲得し帰国しました。
アルフレックスジャパンを設立したのは1969年。
民家を改造した作業場と3人のスタッフでのスタートでした。
イタリアモデルの国産化から始まったアルフレックスジャパン。
保科氏は新たな素材を用いてこれまでにない家具を作りたいと思い立ちます。
インスピレーションは保科正氏がイタリアと日本を往復していた際に利用していた飛行機の座席でした。
アルフレックスジャパンを代表する名プロダクトでありながらもオリジナルプロダクト第一号でもある“RAINBOW”はこうして誕生しました。
印象的なネーミングは飛行機の窓から見えた虹から命名したそう。
長い道のりを経て叶えられた「日本にもイタリアの様に寛げるリビングを」という強い想いは爆発的大ヒットを記録します。
これがアルフレックスジャパンを代表する名プロダクトでありながらもオリジナルプロダクト第一号でした。
ベースに用いられた当時の新素材FRP樹脂。
これがこれまでにない自由な造形を叶え安定した座り心地を支えます。
印象的なシートはどこか飛行機の座席のよう。
ポップなルックスから度々スペースエイジスタイルの名作として扱われますがこれをひとつのジャンルに括るのは勿体ないような気もします。
特筆したいのはサイドに表れたファブリックのしわ。
ファブリックを用いた家具にはタブーとされていた“しわ”をも美しいデザインのひとつとして昇華させたこの点はあまりにも衝撃的だったそう。
タブーを乗り越えこれまでにない家具を作りたいという力強い姿勢は現代のプロダクトデザインにも影響を与え続けています。
瞬く間に認知されたこれまでになかった名作、レインボー。
しかしながら1973年のオイルショックはFRPの価格を倍に。
製造終了を余儀なくされます。
しかしながらこの名作の誕生はアルフレックスジャパンの開発精神に火をつける事になったそう。
以降寛ぎに対する強い思いは絶えず、多くのプロダクトを生み出し続けています。
触れることの少ないデザインの背景。
名作と呼ばれるプロダクトはこのレインボーの様にとてつもない道のりを歩み完成させられています。
くつろぎの空間を作る為に注ぎ込まれた情熱と努力。
これまでの常識を覆し新たな境地に踏み入れることは万人に出来る事ではありません。
歴史的プロダクトは今尚魅力を放ち続けます。
arflex rainbow chair
arflex rainbow ottoman