松本民芸家具
202型 ラッシベンチ
華美な装飾を施した観賞用の作品が主流だった1920年代の工芸界。
それにより失われかけた日本各地の手仕事の文化。
そんな時代の流れにも屈さず一度は廃れてしまった民藝を情熱と技術で再築し、数々の名家具を生み出してきた日本屈指の家具メーカー、松本民芸家具。
年月を重ねるほどに深みを増し、丈夫で耐久性に優れた家具は他に無い佇まいで人々を圧倒します。
当時の安易な西洋化の流れに、健全な美で答えた名工の名作。
本日紹介させて頂くのは松本民芸家具が手掛けたベンチです。
民衆的工藝の情熱
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はじまりは大正時代の末。
日本屈指の和家具の産地として栄えていた長野県松本にまで影響を及ぼした戦争がきっかけでした。
和家具の生産を不可能にまで追いやった戦争と終戦直後の混乱。
そんな中、創始者である池田三四郎はこれからの日本の暮らしに必要とされるであろう洋家具を作ることによって復興を果たそうとしました。
これが松本民芸家具の始まりといわれています。
無名の名工を集め家具作りをスタートした松本民芸家具。
洋家具の知識すらない頑固な和家具職人と共に様々な洋家具を研究し忠実に習作。
失敗を繰り返しながら着実に完成度を高めていきました。
この職人たちの血のにじむ努力こそが日本の伝統技術を守り、多くの名家具を生み出すことになる松本民芸家具の礎でした。
こうして誕生した松本民芸家具は50年前と変わらぬ情熱で、今日まで作り続けられています。
百木の長と詠われるミズメザクラを主材としている松本民芸家具。
虎の紋様のような杢目が特長のミズメザクラは狂いにくく硬いことでも知られています。
故に加工の難しい材料でもあります。
これを美しい家具に変えることが出来るのが松本民芸家具。
かなり高度な技術を要する加工法により組み上げられています。
座面の裏に彫られた、職人の「長く使ってほしい」という想いと「仕事に責任を持つ」という誓いの証。
何十年と使い込まれ、よりその輝きが増したときこそ、やっとその家具が完成する。
生活の為のデザインは民藝と呼ばれ、先人たちの努力と情熱そのままに残っています。
私たちがなくすべきでないこころのこもった名作。
歴史の重みと深みを感じさせる逸品です。