Fritz Hansen
PK22
完璧と言わしめたデザイン。
多くのデザインが生み出された今もなお色褪せないそれらの魅力は姿かたちだけではありません。
完璧を目指す姿勢にこそデザインの魅力はあると思うのです。
素晴らしいデザインがあってそれを形にするまでがデザイン。
最低限ながらも、圧倒的な美しさを誇る傑作は完璧を追い求めた姿勢そのもの。
本日ご紹介させて頂くのは鬼才が手掛けた名作です。
探求と結束が目指した完璧なミニマリズム
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極限まで無駄を省いたデザインとクオリティーの高さ、そして佇まいの美しさ。
本日紹介させて頂くのは“フリッツハンセン / Fritz Hansen”のイージーチェア「PK22」です。
デザインを手がけたのは理想的なフォルムと工業的な探求を常とした名デザイナー、ポール・ケアホルム。
PK22は彼の代表作として知られる名作です。
「鬼才」と呼ばれるポール・ケアホルム。
その基盤は若き日に完成していました。
家具職人としての修業を受けた後、美術工芸学校で学んだ彼は建築素材に強い関心を持ったそう。
家具の素材としては当時まだ一般的ではなかったスチールも、木などと同様に芸術的な繊細さをもつ天然素材であると考えたのです。
そしてケアホルムは美術工芸学校での卒業制作「エレメントチェア(PK25)」を発表。
フレームにスチールを使用するスタイルは既に出来上がっていました。
美術工芸学校を卒業後、ケアホルムはフリッツ・ハンセン社に勤めることに。
シンプルで大量生産可能な家具を実現するための素材を探し求め、2枚の成型合板からなるラウンジチェアにたどり着きました。
しかしフリッツハンセンは同時期にデザインされたアルネ・ヤコブセンのアントチェアを優先的に開発することになったそう。
意見の相違からケアホルムはフリッツ・ハンセン社を去りました。
ケアホルムがフリッツハンセンに勤めたのはわずか一年ほど。
短い期間ながら彼は重要なチェアのプロトタイプを数多くデザインしています。
そして1955年、ケアホルムはビジネスパートナーとなるアイヴァン・コル・クリステンセンと出会います。
クリステンセンはケアホルムと共通のビジョンを抱き、その関係は1980年にケアホルムが51歳の若さで亡くなるまで続きました。
この出会いは彼のデザインを飛躍させることになります。
アイヴァン・コル・クリステンセンは、クオリティについて妥協しないケアホルムに従い、素材ごとに専門技術を備えた職人たちのチームを組織したのです。
1956年に発表されたこの名作は後の1957年、世界的な美術展覧会であるミラノのトリエンナーレにてグランプリを獲得します。
圧倒的なミニマリズムとその美しさは完璧主義とそれを叶えるチームの結束により確固たるものになりました。
1980年。
クリステンセンは事業を打ち切ることを決めました。
若くしてこの世を去ったポール・ケアホルムを悼んでの決意だったそう。
その翌年にケアホルムの若き才能を認めた会社であるフリッツ・ハンセン社に、家具の製造権を譲ります。
サテン仕上げにより張り詰めた緊張感を持つスチールの脚。
ディティールの繊細さ。
派手さはなく、無駄な装飾を無くした極限のシンプルさだからこそデザインの本質が濃く現れています。
素材と深く調和した違和感のない繊細さはケアホルムだからこそ叶えられたのかもしれません。
宙に浮くチェアと評された理由は腰を下ろしたときに感じて頂けるはず。
探求と結束が生み出した完璧なまでに美しい一脚のご紹介でした。