Pierre Jeanneret design
機能的で合理的な近代主義『モダニズム』。 20世紀初頭に起こったこの運動は、様々な分野へ影響を与えました。 建築においては、ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエ、フランク・ロイド・ライトが世界近代建築の3巨匠とされています。 しかし、いつの時代にも影に隠れた逸材がいるもの。 1950年からコルビジェと共に、インドの大規模都市計画に携わったその男の名は、“ピエール・ジャンヌレ”。コルビュジェの影を生きた男
1947年 イギリスからのインド・パキスタンの分離独立に際して計画された『チャンディーガル都市計画』は、パキスタンとの戦略上重要な場所であった事から、異例の速さで事が進みました。 当初アメリカ人建築家のアルバート・マイヤーとポーランド出身のマシュー・ノヴィッキによって計画が進められていましたが、ノヴィッキの突然の不幸により、コルビジェが計画を引き継ぐことに。 この計画を行う上で重要なパートナーを勤めたのが、スイスの建築家である『ピエール・ジャンヌレ』。コルビジェの従兄弟でもあります。 社交的でプロデュース力に優れる一方、気難しいコルビジェとは対照的に、シャイで内向的、無欲で温厚なジャンヌレは、凹凸がピタッとはまるように噛み合った仲だったそう。 専門的な建築知識でコルビジェを影から支えたジャンヌレ。 『ジャンヌレ無くしてはコルビュジェは存在せず、コルビュジェのいないジャンヌレはあり得なかった。しかし歴史からジャンヌレは消されてしまった』。 と、ペリアンが生前のインタビューで語っていたそうですが、たしかにチャンディーガルの家具を除くと、シャルロット・ペリアン、コルビュジェと共にデザインした『LCシリーズ』くらいにしかその名を見る事はありません。 (LC2 ソファ ※SOLD) コルビュジェの影に生きた男が脚光を浴びる事になったのは、チャンディーガル完成から40年以上経ってからのこと。建物に合わせてデザインした家具が老朽化し、プラスチック製の家具に取って変わられ始めた頃です。 地元のオークションではたったの数ルピーで売られ、街のあちこちに山のように廃棄されたジャンヌレの家具。 それに目をつけたパリのギャラリーが収集を始め、2010年から2015年にかけて作品集の出版や展示会を開いたことにより、その名が世界中に轟きました。 これらチャンディーガル用にジャンヌレがデザインした家具に共通しているのは、現地での入手が容易で湿気や虫喰いに強いチーク材やラタンが用いられていること。 そして、シンプルで実用的なモダンデザインであることです。 都市計画に必要な家具の数は膨大でした。 合理的かつ安価に短期間で作れるような設計図はあったものの一社にライセンス供与される事はなく、インド各地の工房や職人に製作を依頼したそう。 しかも、現場の判断で素材やサイズに多少の違いが出ることも問題無しとされていたそうで、結果的に作る人によってサイズが違ったり、似たような家具が出回ることとなりました。 一般的な認識ではジャンヌレによるデザインとされている家具も、ジャンヌレからしてみれば、様々な人が関わり作ったもので決して著作性が自分にあるとは思っていなかったと云われています。無欲なジャンヌレらしさがここにもありました。 本人のサインもなければライセンスも無い。 家具における世界で初めてのオープンソースとも云える設計図となったわけですが、爆発的な人気の高まりと共に偽物が大量に出回る事態にもなりました。このように、いわゆるデザイナーズ家具としては、なんとも特殊な背景を持っています。 年に数回だけ現地に赴いていたコルビュジェとは対照的に、十数年もの間チーフアーキテクトとして現地で都市の完成と成長を見守ったジャンヌレは、インドの風土や人々に惚れ込んでおり、1960年代初めにはチャンディーガル建築大学の校長にも就任しました。 ジャンヌレの人となりやチャンディーガルとの繋がりを知れば知る程、この家具の魅力が増します。 近年、ジャンヌレの家具愛好家でもあるディーパック・スリナスが代表を務めるインドの家具工房『ファントムハンズ』がこれらのオリジナルの図面を基に再現したコレクションを発表。 さらにイタリアの高級家具ブランド『カッシーナ 』からも正式なものとしていくつかのモデルが販売されるようになりました。 (PHANTOM HANDS 製 PH28 ・・・SOLD) 忠実に復刻されたものも良いですが、やはりその時代を歩んだリアルなビンテージは一味違います。 深く色付いたチークの荒い木肌に在庫管理用のレター。 インドの職人による手工芸とモダニズムという、一見相反する要素が独特な佇まいを生み出しています。 都市計画用に作った為にその数と種類が膨大であること。 現場の判断でアレンジが認められていたこと。 現在では古材を使用した模倣品が出回っていること。 こうした事から、明確な判別が難しくオリジナルを入手するには慎重に成らざるを得ない点も、いわゆる『デザイナーズ家具』としての立ち位置を複雑にしています。 『インドのモダニズムはジャンヌレから始まった』とも云われる程、チャンディーガルとジャンヌレの繋がりは深かったようで、ジャンヌレの死後は本人の意向により、都市計画でつくられた人工湖・スクナ湖に遺灰が撒かれたそうです。 現在では美術品の域に達しているジェンヌレの家具。世界中のコレクターやセレブを虜にしています。一時はスクラップとして山のように積まれていたなんて信じられませんね。 店頭でも実際にご覧頂く事が可能でございますので、お近くの際は是非とも当店へお立ち寄りくださいませ。
また、祖師ヶ谷大蔵店の店長がより一点一点にクローズアップした記事も掲載しています。是非こちらもご覧下さいませ。