Isokon Plus
Side Chair of Plywood
機能によって導かれる、必然的な美しさ。
ドイツに生まれたバウハウスというムーブメントによって、権威を示すためのデザインではなく、より人間の感覚に寄り添った機能的なアイテムが多く生まれました。
その流れはバウハウスの校舎がヴァイマール、デッサウ、ベルリンと移り変わり閉校となった後に世界中へ広がり、現代に続くモダンの源流として変わらぬ輝きを放っています。
今回のご紹介はその一役を担ったイギリスによる1脚。
宜しければ、是非最後までお付き合い下さいませ。
モダニズムと木の出会い
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バウハウス。ドイツのヴァイマールから始まった教育機関、そしてその流れに関連する芸術や作品全体を指す言葉です。
初代校長に就任したウォルター・グロピウスによって示されたのは、全てのデザイン要素を収束するものが「建築」である事。
その意味合いを表すために、中世ヨーロッパの建築組合「バウヒュッテ(ドイツ語:建築の小屋)」を参考にバウハウスという名前が作られました(bauhaus ドイツ語:建築の家)。
その特徴は形状や色彩がもたらす効果を含めた先進的な基礎教育、過剰な装飾を排した事で獲得した高い生産性。
パイプを家具に用いる事や、写真にコラージュといった横断的且つ積極的な表現や研究が実を結び、開校期間がわずか14年という短い期間にも関わらず現代モダンデザインにおいて歴史的な評価を受けるまでになっています。
近年創立100周年を迎えて日本でも大々的に取り上げられたので、印象に残っている方も多いのではないでしょうか。
今回はそのバウハウスの関係者の中でも重要な人物の一人、マルセル・ブロイヤーによるチェア。
ユダヤ系ハンガリー人であったブロイヤーは初期にバウハウスで教育を受けたうちの一人。卒業後には実力を認められ教育・指導する立場であるユングマイスターになります。
(※こちらのワシリーチェアは販売済みです。)
就任したての1925年にデザインされたのが、バウハウスのアイコンにもなっているワシリーチェア。
デザインソースはフランス発祥の伝統的なアイテムであるクラブチェア。勢いのある丸みのラインをレザーの張りぐるみで表現したアームチェアから要素を削ぎ落としたフォルムに挑戦しています。
厚みのあるサドルレザーをシートやアームに配し本革特有の高級感を触覚に訴えつつも、パイプフレームによって視線を遮ることのない、劇的な見た目を持つ1脚。
「線と面」が強調されたことにより印象はよりシンプルに。名前の元になった芸術家 ワシリー・カンディンスキーや同時期の建築家アルヴァ・アアルトなども愛用したという、名実揃った作品となっています。
そんな実力者としての才覚を発揮していたブロイヤーが翻弄されたのは時代の波。
バウハウス閉校の原因でもある、ドイツにおけるナチス勢力の台頭。ユダヤ人であるブロイヤーもイギリスへ逃れざるを得なくなりました。
先にイギリスでの活動を始めていたグロピウスの紹介で知り合ったのは、現地でプライウッド(成形合板)メーカーのマーケティングマネージャーを務めていたジャック・プリチャード。アイソコン社の創立者です。
その縁もあってブロイヤーはプライウッドという新しい素材を使ったアイテムに乗り出す事となります。
ブロイヤーがイギリスに滞在したのは僅かに2年。その間にも様々なプライウッドのアイテムをデザインしています。
先日ご紹介の
ウインドミル社 シェーズロングもその時期に発表されたデザインです。
ちなみにこのウインドミル社は後にアイソコンからライセンスを得て、アイソコン・プラス ブランドの正式な復刻品を手掛けています。
今回のチェアは挑戦的。バーチ材のプライウッドは薄手で、特に背もたれや座面は少ない枚数(プライ PLY)で作られています。
無垢材よりも軽量で強靭。プライウッドの可能性を試すようなデザインによって、実用的な家具であるにも関わらず一枚の紙から切り出したような平面的な印象を与えてくれます。
束ねたプライの脚部は丸みを持ち、接地面からの力の伝わり方をコントロール。
シート下の座枠は強度を加え、前後へのぐらつきを防ぐ意図。
そしてあえて中央部分を切り欠く事で、しなるシートが脚部を引っ張り荷重を軽減するという目的もあると思われます。
素材への見極めから、透徹した構造へのまなざし。その実力が良く表れたチェアだと思います。
ちなみにアイソコンのオーナー プリチャードは、建築家ウェルズ・コーツと共同してイギリス初のモダン・フラット(住居)を手掛けています。その名前は「Lawn Road Flats(ローンロード・フラッツ)」。
アイソコンビルディングと呼ばれ今も大切に保存されている建物の中で、ブロイヤーは暮らしていました。
16号室がブロイヤー、隣の15号室にはグロピウス。他にもアメリカにバウハウスを伝えたラースロー・モホリ=ナジ、小説家のアガサ・クリスティらが暮らし併設のバーには彫刻家のバーバラ・ヘップワースやヘンリー・ムーアが常連として通う、芸術家たちの集い場。
逃れた理由こそ悲しいものでしたが、そこでの暮らしはさぞ刺激的だったに違いありません。
アイソコン・プラスは現在も続き、若手デザイナーとの作品からマーガレット・ハウエルとのコラボレーションと新しい歩みを続けています。
今回のチェアは足早に旅立ってゆきましたが、また出会いたいと思える素敵なアイテム。
もしも十分に楽しんだアイテムを手放そうかとお考えの方がいらっしゃいましたら、その時はどうぞお気軽に
ご相談下さいませ(こちらはご相談フォームにリンクしています。)。
次の方へ大切につなぐ、そのお手伝いをさせて頂ければ嬉しく思います。